Smiley face

 筆の種類や持ち方は自由だ。寝転がって書いてもいいし、時には字をまちがえたって構わない。

 京子さんが「筆文字」に出会ったのは、40代に入ったころだった。

 結婚を機に京都から能登へ。2人の息子に恵まれたが、仕事や家事に追われて心身ともに調子を崩していた。

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2024年9月の豪雨以降に京子さんが筆文字で書いた言葉。能登で生まれ育った子どもたちのふるさとを思って書いたという

 そんなとき、長男の同級生のママ友・みなっちさんが開く筆文字教室に誘われた。

 筆文字? 書道?

 「お手本やルールはありません。きれいに書くことが目的ではなく、自由に表現していい」。みなっちさんの言葉に初めこそとまどったが、文字を書くたびにひかれていった。

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被災後にみなっちさんが書いた筆文字

 筆ペンを持ち、いま心のなかにある思いを言葉にする。うれしさやかなしさ、苦しさを自分の言葉で表す。そのときの感情によって線の形や細さ、色の濃淡も変わる――。

 言葉を口に出して伝えるのが苦手だという京子さんも、気づいたときには次々に筆を走らせていた。

 〈つまづいてもいい でっかく生きよう〉

 〈自分が思いこんでるよりも 自分って意外とひとりぼっちじゃないんだよ〉

 書いた文字を眺めていると、はっきりわかっていなかった自分の気持ちに気づく。

 「筆文字ケア」。京子さんは心が少し楽になることからそう名付けてみた。

 イラストを添えて、メッセージカードやキーホルダーも作るようになった。

真っ暗な避難所で、子どもたちと

 2024年元日。筆文字を始めて5年ほど経っていた。京子さんが住む地区は震度7の揺れに襲われた。

 京子さんも家族とともに、近くの保育所へ避難した。

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能登半島地震では、京子さんとみなっちさんが暮らす道下地区も多くの家屋が被害を受けるなどして5人が亡くなった=2024年2月18日午後4時47分、石川県輪島市門前町、黒田陸離撮影

 停電に断水、通信手段は不安定。支援物資も1週間ほど届かなかった。「被災情報は全国に伝わっているはず。なぜこんなにも助けに来てくれる人がいないのか」と不安にかられた。

 同じく避難した母親たちはぼうぜんと座り込んだまま。その顔を子どもたちが不安そうにのぞき込んでいる。そんな時間が何日か続いた。

 そこで自宅に残っていた筆と紙を持ち出し、周りにいた親子に筆文字を書いてもらった。

 思いがあふれ出した。

 〈いつもとおなじくらしにも…

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