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宇高連絡船の船上から、事故が起きた海域に花束を投げる加藤進さん=撮影日不明、加藤圭哉さん提供
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 新幹線のない四国に、新幹線の初代車両「0系」が展示されている場所がある。愛媛県西条市の四国鉄道文化館だ。

 「新幹線の父」と呼ばれる十河(そごう)信二(1884~1981)が地元とゆかりが深いことにちなむ。西条市長を務めた十河は、第4代国鉄総裁として1964(昭和39)年開業の東海道新幹線の建設を決定、推進した。

 十河が国鉄総裁に就任したのは、霧の瀬戸内海で55年5月11日、死者・行方不明者168人を出した旧国鉄宇高連絡船「紫雲丸」沈没事故と関係がある。

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 紫雲丸沈没の2日後、第3代国鉄総裁、長崎惣之助が辞表を出した。前年の54年9月、国鉄青函連絡船の「洞爺丸」など5隻が台風の影響で沈没、計1430人が犠牲となっており、相次ぐ重大事故に、国鉄は批判にさらされたからだ。

 後任として白羽の矢が立ったのが当時71歳の十河だった。

 「ほこりをかぶった骨董(こっとう)品」。就任当初そう揶揄(やゆ)された十河は、紫雲丸事故の三十五日忌に高松市で開かれた合同慰霊祭で弔辞を述べた。その後、のちに本社直轄となる宇高船舶管理部を新設するなど、再発防止と信頼回復に取り組んだ。

 「紫雲丸事故とは私もちょっとつながりがありまして」

 四国鉄道文化館と併設の十河信二記念館の両館長を2017年から務める加藤圭哉さん(73)は今春、記者に初めてこんな話をしてくれた。

「犠牲的精神の発露」と表彰された父

 紫雲丸事故が起きたのは加藤…

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