月がきれいな夜だった。

 家族が寝静まった頃、突然、近所の男性が家に来て叫んだ。「逃げろ!村が焼かれるぞ」

 当時4歳だったラディカさん(17)の記憶は鮮明だ。ミャンマー西部ラカイン州の村を離れ、船による逃避行が始まった。

 3隻の船に1千人くらいが乗っていた。空腹に苦しむ人、泣きわめく赤ん坊。「船がどこに行き着くのか、誰も理解していなかったはず」。高波を進む船から、海に投げ出される人もいた。

インドネシア・アチェで2020年6月24日、パトロール艇の後方に写る、漁師に助けられたロヒンギャ難民を乗せたボート。アンタラ通信提供=ロイター

 漂着したのは2千キロ以上離れたシンガポールだった。その後マレーシアの首都クアラルンプールに移送され、現地の国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に難民・亡命希望者として登録された。

 通学年齢になったが、難民条約に未加盟のマレーシアで、ラディカさんは公立学校に通えなかった。こうした子どもたちのため、国内にはNGOなどが運営する「ラーニングセンター」と呼ばれる私塾がたくさんある。だがその教育環境にも差があり、ラディカさんは「転校」を繰り返した。

 「いつまでも退屈な人生なんだ」。そう思っていた。

幼い頃、ミャンマーを逃れたロヒンギャのラディカさん(中央、白いヒジャブの女性)。「イーロム・イニシアチブ」では、幼い子どもたちの面倒も見る=2025年2月13日、クアラルンプール、笠原真撮影

 だが、クアラルンプールの「イーロム・イニシアチブ」に通い始めて、マレーシア社会で生きていく自信と、人生に希望が湧いた。

 何が他とは違ったのか。

【連載】ロヒンギャを追う 新たな難民危機

内戦が続くミャンマーで、長く迫害されてきた少数派イスラム教徒ロヒンギャが故郷を追われる「新たな難民危機」が起きています。戦争、搾取、ヘイト――。窮状に直面し、安住の地を求める人たちの姿を追いました。

 豪州出身の先生や、自分と同じ難民の先生もおり、熱意を持って教えてくれる。ラディカさんは英語や公用語のマレー語を習得できた。

 何よりも感じた変化は、授業…

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