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菊元百貨店だったビルには日本統治時代の外観を再現したイラストが張られていた=2024年12月1日、台湾・台北市、大室一也撮影

 日本統治下で栄町通りと呼ばれ、台北で最もにぎやかな商店街だった地域の角地に雑居ビルが立つ。

 そこはかつて、台湾初のデパート「菊元(きくもと)百貨店」だった。建物の保存に取り組む「台湾歴史資源経理学会」などは1月まで、その歴史を振り返る企画展を催していた。

 菊元百貨店は1932年に開店した。6階建て(のち7階建てに増築)で、当時は台湾総督府に次いで、台北で2番目の高層建築だった。

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日本統治時代の菊元百貨店。創業者・重田栄治の「栄」の字をあしらった旗が玄関前に掲げられている=1934年12月17日、台湾・台北市

 モダンな消費文化を提供する百貨店は繁盛した。創業者・重田栄治(しげたえいじ)(1877~1958)は手記「思い出草」の中でこう誇っている。

 「全台湾、内台人(日本の内地と台湾の人びと)の評判と信用を集め、台湾の一大名所として人気を博したり」

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AIで生成された菊元百貨店の創業者・重田栄治の動画が企画展で流れた=2024年12月1日、台北市、大室一也撮影

 現在の山口県岩国市出身の重田は旧制中学進学をあきらめ、姉の嫁ぎ先の商家「菊元」で奉公した。日露戦争前年、台湾で綿布商「菊元商行」を創業。地元のニーズに合わせた岩国産織物を売って大成功し、温泉開発なども手掛けて財を築いた。

 「菊元百貨店」開業の数日後、約300キロ南の台南の中心地に「ハヤシ百貨店」がオープンした。現在は修復されて商業施設「林百貨」となり、観光客らでにぎわう。屋上には神社跡や米軍機の銃撃痕がいまも残る。

「台湾をゆく 明治維新から敗戦まで」 (4)重田栄治

長州藩・山口県出身者が関わった日本の台湾統治を振り返る連載。4回目は台湾が商売でも日本の南進の拠点だったことを描きます。

 創業者は山口市出身の呉服商…

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