2020年の初めごろです。アウンサンスーチー国家顧問とミンアウンフライン国軍最高司令官がもう2年近く2人で話をしていない、とNLD(国民民主連盟)政権の閣僚から相談を受けました。
これを受けて私は国軍幹部に会っていろいろな相談をしましたが、日の目を見ませんでした。
スーチーさんの側からドアを閉ざしていたということはなかったにしても、国家顧問という役職をつくったことでドアが閉じられた結果になったと思います。
2024年9月まで駐ミャンマー大使を務めた丸山市郎さんが、通算27年におよぶミャンマー駐在で見てきた出来事を振り返ります。
- 【前回はこちら】「この軍事政権は話ができる」かつてのミャンマー、現体制との相違点
民政移管前に制定された08年憲法は、配偶者や子どもが外国人の者は大統領になれないなど、スーチーさんが大統領になれない条項が盛りこまれています。16年に政権を取ったNLDは、政府のすべての業務を監督する権限をもつ国家顧問という憲法に定められていない役職をつくり、スーチーさんが就任しました。これが国軍とNLDのあつれきの大きな原因の一つとなりました。
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