合川南小の児童13人が津波にのみこまれ、命を落とした海岸=2024年12月12日午後2時15分、秋田県男鹿市、安田琢典撮影

【5】男鹿半島

 かつて、「日本海には津波はない」という定説があった。それを覆す地震が1983年5月26日午前11時59分、秋田県沖で発生した。最大震度5、マグニチュード7・7の日本海中部地震だ。

 秋田、青森両県と北海道で104人の死者を出し、100人は津波で亡くなった。男鹿(おが)半島では23人が津波で命を落とした。

連載「半島を歩く」

​能登半島地震を機に、災害時の脆弱さがあらわになった「半島」。半島地域の発展と住民の生活向上を図る半島振興法の制定から40年。全国各地の半島を記者が訪れ、現状を探り、課題を考えます。全8回の連載です。

 秋田地方気象台によると、男鹿半島では、地震発生から9分後に第1波を観測し、高さ5~6メートルに達した。300キロ以上離れた能登半島でも同2~3メートルが観測されたという。

 秋田県男鹿市の中心部から切り立った崖を縫うように走る県道を車で走ること約20分。今も語り継がれる悲劇の現場になった小さな集落が見えてくる。

遠足の児童13人が津波の犠牲に

 42年前のあの日。同市の男鹿消防署で消防士として勤務していた菅原寿さん(67)は、地震発生から20分後、1本の電話が署内の雰囲気を一変させたことを覚えている。「加茂青砂(かもあおさ)の海岸で子どもたちが津波で流された」

小学生13人が犠牲になった海岸を指す菅原寿さん=2024年12月12日午後1時43分、秋田県男鹿市、安田琢典撮影

 現場に急行すると、目の前に…

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