長崎市民平和憲章の前に立つ山本誠一さん=2024年7月18日、長崎市、小川崇撮影

 国が指定する被爆地域の外で原爆に遭った、長崎の「被爆体験者」という言葉は、原爆が落とされた広島にはない。一方で、広島では、原爆が投下された後に「黒い雨」が降ったことは、広く知られている。

 この「黒い雨」の有無が、長崎の被爆体験者と被爆者を分ける線引きをもたらしている。

 広島では、被爆者と認められる国の援護対象区域外で黒い雨を浴びたなどと訴える住民らが、広島県や広島市を相手取り、被爆者認定を求めた。いわゆる「黒い雨訴訟」だ。

 2021年の広島高裁判決で、原告の84人全員が被爆者と認定された。国はさらに、雨に遭ったことが「否定できない場合」も、幅広く被爆者と認めることを決めた。

 一方、長崎では、国は「被爆地域外で雨が降った客観的な記録がない」と主張、被爆体験者を被爆者と認めていない。

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 被爆体験者の山本誠一さん(89)は、共産党の市議を務めるなか、「長崎でも、雨や灰を浴びて死んでいった人たちがいる」と訴え、20年以上、証言や資料を集め続けてきた。

 国民学校で教育勅語を暗唱する「軍国少年だった」。1945年8月9日、米軍の戦闘機に投げつける石を友人と一緒に集めていた。爆音が聞こえた瞬間、2人とも吹き飛ばされた。爆心地から約9キロだった。

 友人は下痢が続き、2カ月後に死んだ。「次は自分が死ぬ番だ」と不安を抱えながら、自動車整備工として働いた。

 原爆に遭った場所は、国が線引きした被爆地域から外れていた。被爆者と認められなかった。

 国は2002年、爆心地から半径12キロ圏内で原爆に遭った人を「被爆体験者」とし、医療費の助成が受けられる支援事業を始めた。

 しかし、山本さんは「申請すらできなかった」という。

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 12キロ圏内で原爆に遭った…

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