罪に問われた人は、手錠・腰縄姿をさらされても仕方がないのでしょうか。「たとえ一瞬でも、いやでした」。その訴えを出発点に、取材を進めました。
被告が手錠・腰縄をつけて入廷する姿を法壇から見つめてきた裁判官は、どう感じているのか。元裁判官の伊藤納(おさむ)弁護士(71)はいま、「法廷に手錠は似合わない」と考えているとしつつ、改革には難しさもあると語る。
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被告が手錠・腰縄姿のまま入廷することは、裁判関係者に長く受け入れられ、確立した実務です。現在のあり方には、審理をスムーズに進められるという安心感がある。だから特別な措置はしない。それが多くの裁判官の本音だと思います。
個々の裁判官の判断で着脱のタイミングや方法を変えるのは、ハードルが高いと思います。
例えば手錠・腰縄なしで入退廷してもらうとすると、被告を法廷まで連れてくる刑務所や警察と協議をして、納得してもらう必要があります。
「自分だけ突出」は避けたいという意識
傍聴人のいない法廷で解錠する方法もあるが、応援の書記官のほか、場合によっては別の裁判所職員も巻き込むかもしれない。迅速に審理を進めないといけないなかで、そこまでの時間と労力をこの問題に注ぐのは、裁判官にとって難しいです。
自己保身的な面もあるでしょう。自分だけ突出したことをすれば、ほかの裁判官にも少なからず影響が出ます。そうしたことを避けたいという気持ちもある。それでもなお改善すべき人権問題だという認識には、ほとんどの裁判官がまだ至っていないのではないでしょうか。
最高裁から1993年に、傍聴人のいない所で手錠・腰縄を着脱させる運用を示した通知が出ていたことは、当時の私は知りませんでした。法務省に出向していたからかもしれませんが、戻ってからもあまり意識していませんでした。
手錠・腰縄の実務がおかしい…