1月19日、会見場「インタビュールーム3」に姿をみせたのはテニスの全豪オープン女子ダブルス2回戦に勝利した柴原瑛菜(26)だった。日本の報道陣が囲んだ。
【連載】インタビュールーム3 全豪テニスが映した戦争
ウクライナ侵攻の直後からロシアとベラルーシの選手に扉を開いてきたテニス界。表面的な回答になりがちなメインインタビュールームでは語られることが少ない戦争に対する葛藤、迷い、憤り。選手の本音に迫りました。
柴原の会見の直前、女子シングルスのレシア・ツレンコ(34)が、ウクライナ人として戦争への思いを吐露していた。対戦相手のベラルーシ出身選手と試合後に握手をしなかった。ベラルーシがロシアの協力国だからだ。
当該国の選手たちはロッカールームで険悪な雰囲気になっていないのか。柴原に尋ねた。
「私はそういうところは……」。少し間が空いた。想定外の質問だったことが、表情から見て取れた。
それでも、言葉をつないだ。親交が深いウクライナ選手はいないと前置きしつつ、「そうですね。変な空気もあまり感じないです」。
柴原は両親ともに日本人だが、米ロサンゼルス出身。母語は英語だ。そこで、英語でもう少し詳しく話してもらった。
「政治的な問題で難しいけれど、自分の国で今、戦争が起きている状況の中、試合をするだけでも大変なこと。ウクライナの人々は、ロシアとベラルーシと友人ではないことを示さないといけないんじゃないかな」。ツレンコが握手しないことへの理解を示した。
戦争という重いテーマについて、自分の考えを話す。柴原が生まれ育ったバックグラウンドを思った。
米国では子どものころから、自らの考えを主張することは否定されない。むしろ推奨される。伝統的に「出る杭は打たれがち」で協調性が尊ばれ、それが同調圧力にもなる日本とは対照的だ。
私自身、小学生と高校生の年代に米国で暮らした経験から、そういう認識を強くもってきた。
日本で新聞記者になってからは、アスリートに政治的なことを聞くのはNGっぽい空気に慣れてしまい、積極的に聞くのを控えるようになっていた。
転機はコロナ禍だった。東京オリンピック(五輪)の開催を巡る賛否両論が沸き起こってからは、主役であるアスリートの発信が大事だと考え、なるべく聞くように心がけた。
スポーツと政治は分けて考えるべきだ、という大義名分は誤解されがちだ。「分けて考えるべきだ」という前提に立つなら、戦争を仕掛けた当事国の選手でも五輪参加を容認すべきだという論拠が成り立つ。尋ねれば、多様な意見があるのは、自然なことだ。
ところが、日本では専門領域ではないから、アスリートに意見を聞くのも控えるべきだというとらえ方をされがちなのだ。
柴原は、ふだん国籍を意識することは少ないという。それもまた、テニスプレーヤーらしい考えだと思った。会場の電光掲示板やテレビ中継の画面には、選手名と並んで出身国の名前や国旗が表示される。ただ、サッカーのように、国旗を打ち振り、愛国心を前面に押し出すサポーターは少数派だ。
今年の全豪の柴原もそうだったように、ダブルスになれば違う国の選手と組むことはふつうにある。
「ジュニアの時も国旗とか考えずにプレーしていた。(国別対抗戦では)国のために、という意識はあるんですけど。ふだんは自分のため、チームのために頑張るという気持ちが強い」
昨年の全豪オープンで柴原と組んで準優勝した青山修子、記者が「ある意味、プロテニスプレーヤーっぽくな」というダニエル太郎にも尋ねました。
記者会見は長くなり、進行役…