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選手村跡地には新しいマンションが立ち並び、老若男女が、テラスで食事を楽しんだり散歩したりしていた=2024年5月11日、ロンドンのイーストエンド地区、河崎優子撮影

 五輪の開催に向け、パリ郊外の貧困地域では再開発が行われています。五輪をきっかけに街を大きく変容させる取り組みは、各地で進められてきましたが、パリが手本とするのは、2012年の開催都市ロンドンです。地方議員として再開発に関わり、その地区の住民でもあるニック・シャーマンさん(76)が他の開催都市にも通じる開発の実態や反省点を振り返りました。

 ――五輪後の街の開発を担うロンドンレガシー開発公社(LLDC)の計画決定委員として、街づくりに関わりました。

 当時の市長は、「五輪を東西ロンドンの格差をなくす起爆剤に」とうたって五輪招致を進めました。選手村エリアに完成する住宅の半分は、低所得者向けの賃貸住宅にする方針でしたが、08年にボリス・ジョンソン氏(のちの首相)に市長が代わり、官から民へ、市場を重視した新自由主義的な政策に切り替わりました。五輪後にできたLLDCは、選手村跡地の住宅建設や公園の整備を担ったものの、開発は民間の建設業者が提案した計画をもとに進められました。

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五輪の会場となった水泳センター(奥)や新しくできた芸術大学、企業を案内するニック・シャーマンさん=2024年5月10日、ロンドン、河崎優子撮影

 開発は今も続き、将来的には東京ドーム48個分にもわたる大規模な土地に、約3万3千戸が完成します。しかし、低所得者向け賃貸住宅の割合は、現在1割ほどにとどまっています。この12年で、富裕層が流れ込み、地元の人々は家賃の高騰で住めなくなり、引っ越していきました。地元住民にとって裏切りであり、悲劇です。

DINKS向けの2LDK物件が多数

 ――民間主導の開発を止めることはできなかったのでしょうか。

 ロンドン市長によって任命さ…

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