昭和東南海地震で津波に襲われた紀伊勝浦駅前。家の屋根や畳、トラックなどが流され、土砂や木が堆積(たいせき)した=和歌山県那智勝浦町提供

 1944(昭和19)年12月7日午後1時36分ごろ、三重県尾鷲市沖約20キロの熊野灘を震源とする昭和東南海地震(マグニチュード7.9)が起きた。熊野地方は震度5の揺れに襲われ、沿岸部は3~5メートルの津波に見舞われた。

 三重、愛知、静岡の3県を中心に死者・行方不明者は約1200人に上った。

 旧那智町と旧勝浦町では合わせて死者33人、行方不明者4人のほか、地震による家屋倒壊35戸、津波による家屋流出218戸、浸水家屋1200戸、被災者約5700人に及んだ。

 那智湾に入った津波は陸を駆け上がり、天満から南下して勝浦へと押し寄せた。紀勢線のレールも山側に押し流された。日中に発生したこの大地震を、今も記憶にとどめている人がいる。

■那智勝浦町の山根栄子さん(…

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