カンボジアに向けて出発する陸上自衛隊のPKO派遣部隊=1992年10月13日、愛知県小牧市の航空自衛隊小牧基地

 「専守防衛」を掲げる自衛隊にとって、異色の活動が国連平和維持活動(PKO)への参加だ。米ソ冷戦の終結後、新たな国際秩序を築くための「国際貢献」として世界各地へ送られてきたが、近年は目立っていない。

 政府が自衛隊を初めてPKOに派遣したのは、1992~93年のカンボジア。内戦を経た国づくりを停戦監視や道路整備などで支えた。宮沢喜一内閣が判断した。

 当時、日本には「国際貢献」が問われていた。

 冷戦終結直後の90年にイラクがクウェートに侵攻。翌年の湾岸戦争でそれを押し戻した多国籍軍などに日本政府は130億ドルを支援したが、「小切手外交」などと批判された。

 こうした国際情勢の中、政府は憲法をふまえて自衛隊の海外派遣を控えてきたが、PKOなら問題ないと判断。停戦合意や必要最小限の武器使用など、自衛隊が紛争に巻き込まれないための5原則を盛り込んだPKO協力法が92年に成立し、日本が内戦の和平合意に深く関わってきたカンボジアに部隊を送ったのだった。

「国際貢献」の旗印だったはずが

 その後もモザンビーク、ゴラ…

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