K-POPブームが巻き起こり、アイドルグループが乱立する時代。「オーディション番組」に挑戦する少年少女が増えている。こうした番組は多くの人気グループを生み出す一方で、参加者に課される精神的、肉体的な負担の重さを指摘する声もある。
韓国で社会現象化したアイドルオーディション番組、「PRODUCE101」シリーズに参加した髙田健太さん(29)は、撮影中の生活を「極限状態だった」と表現し、参加者の感情を「消費」しているのではないか、と警鐘を鳴らす。
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20万円を握りしめて単身韓国へ
――芸能界を目指したきっかけは。
小さい頃に育った家庭環境は複雑で、きらきらしたものからはかけ離れていました。だから、芸能界がよりきらきらして見えて、憧れが強くなりました。たまたまK-POPに出会ったのは必然のような、不思議な出会いでした。
髙田さんは高校卒業後、日本でアイドルとして活動。20歳で渡韓し、芸能事務所の練習生生活を始めた。
――日本でアイドル活動をしたのに突然、韓国に行ったのですね。
高校生の時に、一度行こうかと思ったことがあるんですが、経済力もなかったし、未成年と言うことであきらめました。でも、20歳になったとき、「失敗しても成功しても自分の責任なんだし、じゃあ行っちゃおう」と思ったんです。このタイミングを逃したら、自分を責めてしまうとも思いました。確か20万円くらいを持って、韓国に行きました。
――韓国を目指した理由は。
韓国アイドルは、(踊りが)そろっていて、世界観も唯一無二、ビジュアル(見た目)もアルバムごとに別人のように変わる。それが僕には日本の当時のアイドルとは違う輝きに見えました。
韓国で1年間、下積みの練習生などをした後、韓国のアイドルオーディション番組「PRODUCE101」シリーズの男子版に、日本人として唯一出演が決定。やっとつかんだゴールデンチケットだった。
言葉の壁、意見も言えず…なら「少しでも長く練習を」
――番組出演時、一番苦労したことは。
言葉の壁です。渡韓して1年ぐらい経っていたので日常会話くらいはできましたが、早口だったり、専門用語を使われたりすると何を言っているかわからない。周りについて行くしかありませんでした。
あと、韓国は日本より自分の意見を求められることが多い。日本人として20年間、周りに合わせるのに慣れてきた自分が意見を言えるはずもなく、嫌いなものも自分の魅力も言えなかった。そういう苦労を共有できる人もおらず、孤独を感じました。
記事後半では、番組に出演した髙田さんだからこそ語れる、撮影当時の状況や問題点、魅力まで迫ります。
――そんな中、どうメンタルを維持しましたか。
ネガティブな感情はもちろんありました。でも、だからこそできることが明確に見えてきたんです。韓国語もできない、歌もダンスも周りよりうまくない。自分のできることを考えたら、「言われたことを完璧にする」「みんなが休んでいるときに、少しでも長く練習する」ことだったんです。逆に日本人の仲間がいたら、愚痴とか言い合う時間が増えていたから、今は(一人だったことが)ありがたかったと思います。
30時間連続撮影の後に「ワンコーラス覚えてきて」
――1月に出版した著書「日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。」には、番組中は「極限状態だった」ということも書かれています。どんな状態でしたか。
番組撮影中は、ありえないミッションが与えられるんです。30時間撮影した後に、「じゃあ明日までにタイトルソングをワンコーラス覚えてきてください」とか。だから、寝ずに練習が始まる。だけど、残された時間も24時間ない中で、出演者たちは極限状態になるしかない。「どうしよう」とパニック状態になるし、寝ていないから集中力も落ちてしまう。だから泣き出す子が出て、おもしろいドラマが生まれるんです。「PRODUCE101」シリーズの制作陣は、それをつくるのがうまかった。
撮影中は、カメラが(周囲に…