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【連載】北朝鮮の表と裏

北朝鮮は最近、ロシアとの協力を誇示し、海沿いのリゾート施設で楽しむ市民の姿を公開しました。一方で、各国の調査や脱北者の証言を積み重ねると、北朝鮮が長く自称する「地上の楽園」の表と裏が浮かび上がります。最新情勢を5回の連載で伝えます。

 北朝鮮で7月、1日2万人が宿泊可能というリゾート施設「元山葛麻(ウォンサンカルマ)海岸観光地区」が開業しました。一方、北朝鮮市民の生活は苦しい状況が続いています。北朝鮮でコッチェビ(浮浪児)生活を送った経験がある韓国・民主平和統一諮問会議(韓国大統領直属の諮問機関)の金革(キムヒョク)常任委員は「北朝鮮は独裁を維持するため、経済の自由化を実現できない」と語ります。

  • 囚人429号のホテルに現れたコッチェビたち 欲しがったものとは

 ――北朝鮮ではどのような暮らしをしていたのですか。

 私は(東北部の)清津(チョンジン)で生まれました。初めて家出したのが1989年、7歳の時でした。母が86年に亡くなり、学校などでいじめられたのが原因でした。まだ、経済難ではないころで、駅に行けばお客さんが食べ物をくれました。駅の待合室で寝泊まりしました。鉄道警察隊に見つかって自宅に強制的に戻されることがありましたが、また家出をするという繰り返しでした。

 ――食糧難の時代はどうしていたのですか。

 94年末ごろから(大規模な食糧難の)「苦難の行軍」が始まりました。配給が止まり、人々は食べ物を求めて全国をさまよいました。駅のそばではわずかな食べ物を売る商人が生まれ、ただで食べ物をくれる人はいなくなりました。私はしばらく自宅に戻ったのですが、96年に父も亡くなり、孤児院でも、大勢の子どもが栄養失調になり、次々に亡くなりました。

作業動員や麻薬運びも コッチェビを利用する人々

 ――なぜ脱北したのですか。

 再び、コッチェビ生活を送り…

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