大阪・関西万博の開幕まで、あと1年。会場となる夢洲では、建設工事が急ピッチで進む。過去の万博は、最先端の素材を使い、斬新なデザインに挑む、建築の実験場でもあった。今回も多くの試みがあるが、工期やコストなどの課題も残る。
- 【タイムライン】2025大阪・関西万博 開催までの歩み
1970年大阪博で提唱 「メタボリズム」建築
歴史的に、万博はユニークな建築に彩られてきた。建築家や技術者たちが、ときに国家と潤沢な資金に支えられ、最新技術を取り込みながら腕を競った。
その起源は初の万博となった1851年のロンドン博、会場の「水晶宮」だ。大きな建物はれんが造りが当たり前だったこの時代に、ガラスと鉄骨でできた長さ約563メートル、幅約124メートル。温室の設計技術の進歩が背景にあった。
89年のパリ博ではエッフェル塔が造られた。312メートルの高さは、当時世界最高の建築物の2倍近かった。93年のシカゴ博では、高さ約80メートルの大型観覧車が登場。いずれも鉄骨構造の技術の発展の産物だった。
20世紀前半からは装飾を減らし、合理性や簡素さを追求する近代建築が流行した。その代表例が1929年バルセロナ博のドイツ館だ(一度は取り壊されたが80年代に復元)。
70年の大阪博では、日本の建築家たちが、環境に合わせて建築も生物のように成長するべきだとする「メタボリズム」を提唱。タカラ館やエキスポタワーなど、追加、交換できるユニットを組み合わせた建築を試みた。また、天井を膜にした米国館は、空気を送り込んで膨らませるドーム建築の先駆けで、東京ドーム(88年開業)などに広がった。
2000年代に入ると、コンピューターによる設計や模擬実験の技術が進歩。曲線やゆがみを強調したデザインが増えた。さらに、建材の環境性能や再利用も注目されるようになった。
いい例が00年ハノーバー博の日本館だ。日本の坂茂(ばんしげる)とドイツのフライ・オットーが設計した建物を支えたのは、紙の管。解体後にリサイクルされた。
大阪・関西博では、女性館を設計する永山祐子が、自身が手がけた21年ドバイ博・日本館の資材を再利用する。
目玉の建築は、1周2キロの大屋根(リング)。デザインを監修する会場プロデューサーの藤本壮介は「多様な世界がつながりあう時代の象徴だ」と言う。ただ、閉幕後の使い道は、決まっていない。=敬称略(西村宏治)
1メートルあたり1720万円の木造リング 再利用は
会場は全長2キロに及ぶ木造の大屋根(リング)がぐるっと取り囲み、その中にパビリオンが並ぶ配置だ。リングは世界最大級の木造建築で、木組み構造の8割が組み上がり、9月中にも完成する見込みという。
会場のデザインを担当したのは、国内外で活躍する建築家、藤本壮介氏(52)だ。トイレや休憩所など20施設は、コンペを勝ち抜いた若手建築家たちがデザインした。
だが、建設に向けた課題も多い。
参加国が自前で建設するパビリオンは、当初は60カ国による計56施設の予定だった。その後、自分たちで建てるのを断念する国も出た。約20カ国は施工業者が決まっていない。
リングの建設費は344億円とされ、1メートルあたり1720万円かかる計算だ。「半年で壊すには高すぎる」との指摘があり、主催する日本国際博覧会協会は移築を含めた再利用を検討中だ。だが具体策は見えていない。
1月には能登半島地震が発生。「復興を進めるため、万博は延期すべきだ」との議論も出た。万博の建築が本当によりよい未来につながるのか、厳しい視線も向けられている。(西村宏治)
記事の後半では、万博の歴史を研究している京都大大学院の佐野真由子教授へのインタビューを掲載しています。
「万博の主役は世界各国」 では主催する意義は
エッフェル塔、太陽の塔、パビリオン……。過去の万博では、趣向を凝らした建築物が会場を彩ってきました。なぜ「万博の華」は必要なのか。1年後に迫った大阪・関西万博の会場建設で、日本に求められる役割とは何か。万博の歴史を研究する京都大学大学院の佐野真由子教授(文化政策学)に聞きました。
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万博の会場に立ち並ぶ各国の…