「平和の礎」がたつ平和祈念公園。慰霊の日には多くの人たちが訪れる=2018年6月23日=沖縄県糸満市、朝日新聞社ヘリから

 戦後70年の、貴重な記録と証言です。

【2015年6月10日朝刊(西部本社版)】

 太平洋戦争末期、地上戦で多くの民間人の犠牲者が出た沖縄戦の体験者を対象に朝日新聞社はアンケートを実施した。今でも突然、戦時中の体験を思い出すことが「よくある」「時々ある」と答えた人が計64.9%を占め、今も「心の傷」があるとうかがえる結果になった。将来、沖縄が再び戦場になる可能性については、「大いにある」「ある程度ある」と考える人が計65.1%にのぼった。

 回答者数は502人。沖縄戦や収容所生活で家族を亡くした人の割合は64.5%を占め、身近な犠牲者の多さを示した。

日本軍の施設を攻撃する米兵=1945年5月21日、那覇市、沖縄県公文書館所蔵

 日常生活の中で沖縄戦の体験を突然、思い出すことがあるかを聞いた質問では「まったくない」と答えた人は11.8%にとどまった。「よくある」(27.3%)「時々ある」(37.6%)の回答者に、思い出すとどうなるかを尋ねると(複数回答)、「気分が落ち込む」人が目立ち、「眠れなくなる」「イライラする」人もいた。この三つは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)にも広くみられる症状とされる。

 南部の激戦地を逃げ惑った男性(79)は戦場の光景が夢によみがえり、繰り返し目覚めてしまう、と訴えた。「花火の音で艦砲射撃を思い出して胸がふさがる」という女性(86)もいた。

 沖縄県立総合精神保健福祉センターの仲本晴男所長は「今回の結果は、沖縄戦で受けた心の傷が癒えない高齢者の層がいることを示している。PTSDと即断できないが、一定の症状がある人には治療や環境改善などが必要だ」と話す。

 一方、沖縄が将来、再び戦場になる可能性についての質問には、「大いにある」と答えた人が27・3%で、「ある程度ある」と合わせると65.1%を占めた。理由として、沖縄の米軍基地の存在やそれが集中する現状を挙げた人は、このうち半数以上に達した。

米軍普天間飛行場に駐機するオスプレイ=2024年3月8日、沖縄県宜野湾市

 沖縄戦の体験が「本土にどの程度伝わっていると思うか」については、「あまり伝わっていない」が45・8%、「まったく伝わっていない」が19・5%と、否定的な回答が目立った。

〈沖縄戦体験者へのアンケート〉朝日新聞社が今年2~5月に実施。回答者は男性264人、女性238人で、平均年齢は81.7歳。1972年の本土復帰の際に沖縄戦をめぐる補償を求めようと民間団体がまとめた生存者リストや沖縄戦の証言が掲載されている市町村史・字誌などから約3千人の体験者を抽出。このうち連絡がついた人に協力を依頼した。県内各地の公民館や福祉施設などの利用者らにも協力を呼びかけた。

米を研げば思い出す 70年前、地獄が始まったあの日

家族と一時避難していた場所の前で、当時を振り返る石川仁栄さん=2015年6月8日、沖縄県浦添市

【2015年6月19日朝刊(東京本社版)】

 こちらをじっと見つめる幼い瞳。重い記憶がときに鮮明によみがえる。

 石川仁栄(じんえい)さん(80)=沖縄県浦添市=にとって、70年前の地上戦は、まだ終わっていない。

     ◇

 まるで、何十、何百もの落雷の中にいるようだった。米軍の猛烈な砲撃で身動きがとれない。1945年6月。祖母や母、兄、妹、弟らと、那覇市の北隣、浦添市から南へ逃げた。

 沖縄本島の南端、糸満市の家畜小屋に飛び込んだときのことだ。隅でひざを抱えて座った。目の前で、弟が背をぴったり寄せて同じように縮こまっている。

 その時、何かが右肩をかすめ、抱えていた右ひざの肉を削った。一瞬の出来事。痛いのか、熱いのかもわからない。

 気づいたときには、松林の中…

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