夫とは、知り合い同士だった互いの両親を通じて出会った。
優しくて実直な人柄。ささいなことでけんかをしても、近くに住む夫の姉の家に「家出」をすれば必ず迎えに来てくれた。
夫は営団地下鉄(現東京メトロ)での仕事に誇りをもっていた。当直勤務が終われば、同僚たちを引き連れ、自宅でマージャン卓を囲んだ。おおきな家族のような職場で、にぎやかな日常を送っていた。
3人の子どもたちは、仕事に就いたり、アルバイトをしたりと、自立を始めていた。夫婦で買い物をして、一緒に料理をする。そんな穏やかな時間を過ごすことも増えていた。夫婦で北海道へ旅行する計画も立てていた。
そしてあの日の朝。旅行の話をしようと、勤務先の銀行から、当直勤務を終えた夫がいるはずの霞ケ関に電話したが、何度かけても話し中だった。
- 「オウム」を暴走させた3つの転機
そうこうするうち、妹から電話があった。地下鉄で大きな事件が起き、夫に似た地下鉄職員が担架で運ばれる様子がニュースに映し出されたという。
混乱の中、夫の搬送先の病院へ行くと、人工呼吸器をつけベッドに横たわる制服姿の夫の姿があった。体は冷たく、目をあけることはなかった。
1995年3月20日午前8時ごろ、東京の地下鉄日比谷線、千代田線、丸ノ内線の車内で、オウム真理教幹部らが猛毒のサリンを一斉に散布。乗客や駅職員ら14人が死亡し、6千人以上が重軽症を負った。
夫・一正さん(当時50)を事件で失った高橋シズヱさん(78)は、教団に被害賠償を求める活動の先頭に立ち、被害者らへの公的な支援も実現させた。「まだまだ社会はよくなる。そのためにも、声を上げ続けることが大事だ」
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オウム真理教が関与した一連の事件の公判は、異例の規模・期間となった。教団幹部らの傍聴を続け、400回を超えた。
東京・霞が関にある東京地裁…