つむぐ 被爆者3564人アンケート 宇田茂樹さん(79)

「原爆稲」の苗をプランターに植える宇田茂樹さん=2025年6月5日、岐阜県垂井町、小玉重隆撮影

 6月上旬の晴れた日。岐阜県垂井町の宇田茂樹さん(79)の自宅の前に、水の張ったプランターが二つ並んでいた。そこへ、苗を一つひとつ植えていく。青々とした稲は半年ほどで黄金色の穂をつけ、こうべを垂れる。ただ、その稲穂の半分以上は、中身が入っていない「空もみ」になるという。被爆直後の長崎市で採取された稲の子孫「原爆稲」だからだ。

【3社合同企画】つむぐ 被爆者3564人アンケート

原爆投下から80年。朝日新聞、中国新聞、長崎新聞の3社は合同でアンケートを行いました。被爆者たちが私たちへ託した言葉をみる。

 原爆稲は、1945年秋に長崎市の爆心地から約600~2500メートル離れた水田で採取した稲の子孫。九州大学農学部が研究のために栽培を続け、保存してきた。

 強い放射線で染色体が切断されるといった突然変異が起き、「空もみ」が多く交じる。

 宇田さんは「80年が経つ今もなお、影響が続いている。放射能の怖さがよく分かる」と話す。

 宇田さんは「胎内被爆者」だ。3500通を超えるアンケートのうち、胎内被爆者と答えた人は201人だった。

「長くは生きられないだろう」

 爆心地から約1.5キロの長…

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