つむぐ 被爆者3564人アンケート 宇田茂樹さん(79)
6月上旬の晴れた日。岐阜県垂井町の宇田茂樹さん(79)の自宅の前に、水の張ったプランターが二つ並んでいた。そこへ、苗を一つひとつ植えていく。青々とした稲は半年ほどで黄金色の穂をつけ、こうべを垂れる。ただ、その稲穂の半分以上は、中身が入っていない「空もみ」になるという。被爆直後の長崎市で採取された稲の子孫「原爆稲」だからだ。
【3社合同企画】つむぐ 被爆者3564人アンケート
原爆投下から80年。朝日新聞、中国新聞、長崎新聞の3社は合同でアンケートを行いました。被爆者たちが私たちへ託した言葉をみる。
原爆稲は、1945年秋に長崎市の爆心地から約600~2500メートル離れた水田で採取した稲の子孫。九州大学農学部が研究のために栽培を続け、保存してきた。
強い放射線で染色体が切断されるといった突然変異が起き、「空もみ」が多く交じる。
宇田さんは「80年が経つ今もなお、影響が続いている。放射能の怖さがよく分かる」と話す。
宇田さんは「胎内被爆者」だ。3500通を超えるアンケートのうち、胎内被爆者と答えた人は201人だった。
「長くは生きられないだろう」
爆心地から約1.5キロの長…