奈良市の近鉄富雄駅前で110年にわたって親しまれてきた赤れんがの「旧大阪電気軌道富雄変電所」が今春、解体された。
大正時代に近鉄の前身「大阪電気軌道」の奈良線の施設として建てられたもので、かつて県道の拡幅工事で解体の危機に直面した時には、個人の熱心な運動が実り、一度は保存が実現した建物だった。
解体の危機に元近鉄職員が立ち上がる
旧富雄変電所は、1914(大正3)年の奈良線開業に合わせて建てられた。正面に花崗岩(かこうがん)のアーチを設けたルネサンス風建築の平屋で、設計者は不明だが、同時期に完成した辰野金吾設計の東京駅にも通じる姿だった。当時の建築様式をよく示しているとして、日本建築学会がまとめた「日本近代建築総覧」にも収録されている。
建物は、変電所の役割を69(昭和44)年に終えた後、ホームセンターの店舗として利用された。だが、80年代に敷地の一部が県道の拡幅工事にかかり、解体が検討されることになった。
保存運動に立ち上がったのが生駒市に住んでいた元近鉄職員の今津勤さん(故人)だった。
文化財保全などに取り組む公益財団法人「日本ナショナルトラスト」の会員でもあった今津さんは、建物の見学会を実施した。近代建築の専門家の協力を得て、県や近鉄に歴史的価値を訴え、近鉄経営陣には手紙で保存への理解を求めた。
今津さんはその中で、古い写真や建物の図面から、拡幅にかかるのは旧変電所の完成から数年後に増築された部分ではないかと気づく。
それが事態を大きく動かすことになった。
県と近鉄にオリジナルの本体…