Smiley face
写真・図版
山極寿一さん

科学季評・山極寿一さん

 コメをめぐる生産、販売、消費の混乱が続いている。そこには、近年のコメに対する認識と政策の変化が大きく関わる。米作とは単にコメという食糧の生産ではなく、日本の環境文化の根幹にかかわることではないか。

 私が所長を務める総合地球環境学研究所(地球研)は昨年4月、上廣(うえひろ)環境日本学センターを始動した。センター長の吉川成美特任教授は、早稲田大学で環境日本学を創設した原剛名誉教授の下で学んでいる。環境日本学の原点は山形県高畠町にあると聞き、今年5月に吉川さん、原さんと現地を訪ねた。

 高畠町は「まほろばの里」と評され、東北の高天原(たかまがはら)といわれる古代史跡が点在する里山だ。はるか昔から米作を中心としたなりわいによって暮らしを支えてきた。自治自律の精神に富む住民たちが、江戸時代から米沢藩による年貢徴収と専売制の圧政に離脱運動を起こすなど、抵抗の歴史がある。

 戦後の高度成長期、1961年に制定された農業基本法により、農産物の選択、経営規模拡大、機械化などが図られ、米作からの転換が相次いだ。化学肥料や薬品の大量投入で生産量を上げる一方、コメの消費が頭打ちになり、71年から本格的に減反政策がとられる。兼業農家が増え、出稼ぎが一般化し多くの農山村が荒廃していくが、高畠町では20代の若い農民38人が立ち上がり73年に「高畠町有機農業研究会」を結成。「もうかる農業」と「出稼ぎ」をやめて「自給農業」への回帰を目指した。原さんによれば、健康、安全、環境が合言葉だったという。中心を担ったのが農民詩人の星寛治さんだった。

 72年、ストックホルムで行…

共有