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客として訪れた「ジャズライブイン寓話(ぐう・わ)」で、即興演奏をする金城吉雄さん=2025年1月30日、那覇市、有元愛美子撮影

 外からわずかに光が差し込む薄暗い洞窟にポツン、ポツンと水滴がしたたり落ちる音が響く。沖縄県糸満市に残る自然の壕(ごう)「ガマ」。「健児之塔」と刻まれた碑に、雨粒をつけたヒナギクが手向けられていた。1945年、学徒動員された学生らが自決した場所だ。戦後79年目の昨年6月23日、戦争体験者は高齢化し、ガマを訪れる人は少なくなっていた。

 「ドカンドカン」という破裂音が合図だった。1944年10月10日朝、那覇市で米軍による大規模な空襲が始まった。当時小学生だったジャズドラマーの金城吉雄さん(89)は、学校へ行く準備をしていたが着の身着のままで逃げ、両親と県北部まで約1カ月かけて歩いた。

 空襲警報のサイレンが鳴り響くたびに防空壕(ぼうくうごう)へ隠れる。近くで爆弾が落ちると、壕の中に噴煙が立ちこめた。

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平和通りの側にある希望ケ丘公園。沖縄戦の時、この下にあるガマに金城吉雄さんは隠れたという=2024年9月19日、那覇市、有元愛美子撮影

 「死ぬときは家族一緒だ」と父は言った。空襲の数カ月前、金城さんは学童疎開の船で本土へ向かう予定だったが、父の考えで沖縄に残った。

 乗っていたかもしれない対馬丸は撃墜され、1400人以上が犠牲となった。「あの時船に乗っていたら、海のもくずになって消えていたかもしれない」。

【初回から読む】沖縄ジャズの名店響く自由な音 きっかけはビル・エヴァンス

米軍統治や日本復帰など沖縄が歩んできた歴史の片隅で紡がれていた「ウチナージャズ」をたどる連載、全5回の2回目です。

防空壕に入ってきた米兵に大人たちは

 沖縄戦終結は粟国島で迎えた…

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