ジョン・レノンの妻で、前衛芸術家のオノ・ヨーコさん(92)の半生をたどった伝記「YOKO」が今春、米国で発売され話題になっている。著者は、長年親交がある米国のジャーナリスト、デビッド・シェフさん(69)。芸術家などではなく「ビートルズ解散の原因」との印象をいまだに根強く持つ人がいることに気づき、執筆を思い立ったと明かす。日本語版の発売に合わせて話を聞いた。
24歳のときにインタビュー
――ヨーコさんとの最初の出会いは。
1980年、米プレイボーイ誌に掲載するヨーコさん夫妻のインタビューを任されました。私が24歳のときです。
取材趣旨の説明のために初めて会ったときは冷たい印象でした。私は悪意がないことを証明しようと必死でした。
ただ、実際に取材を始めるとオープンに、何でも話してくれました。オフレコ対応を求めることも一切なく、レノンさんにも会わせてくれました。レノンさんと別居していた時期のことや、家族、両親との難しい関係など、非常に正直に語ってくれました。取材はニューヨークで約3週間にわたり、当時、アルバム「ダブル・ファンタジー」を制作していたスタジオやセントラル・パーク、当時の住まいなどで行いました。
――なぜ最初は冷たかったのでしょう。
長い間、メディアでひどく扱われてきたからでしょう。人種差別や女性蔑視も多く、悪者のように書かれてきたし、自身やレノンさんを守ろうとしていたと思います。
――逆になぜ受け入れてくれたと思いますか。
私が若くて経験も浅かったことで、興奮していろいろな話を聞いたからかもしれません。インタビューは音楽だけでなく、家族や政治、環境、暴力、芸術作品などにも話が及び、純粋にオープンな人間だと認識してくれたのかなと思います。ビートルズやレノンさんの音楽だけではなく、ヨーコさんの作品にも関心があり、その点も好まれたのかもしれません。
ヨーコさんは息子のために……
――記事を出してまもなく、レノンさんが亡くなりましたが、その後も関係が続いたそうですね。
少し時間をおいて会いに行くと、レノンさんについて話したくてたまらない様子でした。2人は当時、非常にプライベートで静かな生活を送り、広い友人関係を持っていなかったからではないかと思います。
その後もお互いを訪ねたり、夜中に長時間電話をしたりする関係が続き、私がつらいときにも助けてくれました。
――どんなことがあったのですか?
私の息子ニックが薬物中毒に…