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慰霊碑に向かって手を合わせる岩渕三千生さん=2025年9月4日午前1時34分、和歌山県那智勝浦町井関、菊地洋行撮影
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 和歌山、奈良などに甚大な被害をもたらした2011年9月の紀伊半島大水害から4日で14年。未明から各地で犠牲者を追悼する集会や催しがあり、参列者たちは、尊い命の鎮魂を願い、復興・再生の決意を誓った。

命の数だけ 祈りと誓い

 死者、行方不明者が29人と和歌山県内の市町村で最多だった那智勝浦町。同町井関の「紀伊半島大水害記念公園」では、土石流が発生したとされる時間帯の午前1時に合わせて、遺族や地元の人たち10人あまりが集い、犠牲者と同じ数のキャンドルに火をともし手を合わせた。

 近くに実家があり、母と姉を亡くした和歌山市の公務員寺本圭太さん(36)は「また災害の時期がやって来たという気持ち。自分や、4歳の娘は元気に過ごしていると2人に報告した」。

 昨年9月に解散した遺族会の代表を務めていた岩渕三千生さん(64)=三重県紀宝町=は、実家にいた父親とおいを亡くした。岩渕さんは「犠牲者の半分は顔見知り。毎年、災害が起きないよう願っている。つらい気持ちに変わりはない。線状降水帯の発生で、どこで災害が起きても不思議ではない。自分の命は自分で守って欲しい」と話した。

 午後1時半からは、那智勝浦町主催の慰霊献花があり、約40人が黙禱(もくとう)の後、花を捧げた。堀順一郎町長は「犠牲になった人たちの碑の前で、今後起こりうる災害への防災、減災を誓った。絶対に忘れてはならない」と述べた。

 死者、行方不明者が14人に上った新宮市では、氾濫(はんらん)で大きな被害が出た同市熊野川町にある道の駅「瀞峡(どろきょう)街道 熊野川」で「紀伊半島大水害犠牲者追悼献花」があった。田岡実千年市長や市の幹部職員、市議ら36人が黙禱の後、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑に花を捧げた。

 田岡市長は「中学生以下の子どもたちは、この災害を知らない。こうした行事を通じて14年前のつらいできごとを風化させず、伝え続けたい」と話した。

力合わせ「守っていかな」

 山の斜面が崩落して死者8人、行方不明者3人が出た奈良県五條市大塔町宇井では、大塔体育館で宇井自治会主催の慰霊祭があり、約70人が参列した。

 母を亡くし父が行方不明の中村彰作さん(60)は災害当時、仕事で地元にいなかった。前日、父は親戚と「ここらへんはそんなん(土砂崩れが)起こらへんから大丈夫や」と話していたという。

 苦い体験を踏まえ、各地で続く自然災害のニュースに「空振りでもいいから避難した方がいい」と考える。あの水害の後、台風が近づくと知り合いに電話をして気遣うようになった。

 向耕平さん(30)は奈良市に住んでいた子どものころ、宇井地区にある祖母の実家に行っては川遊びをするのが楽しみだった。高校2年のときに水害が起こり、祖母が亡くなった。「他人事に感じていた」自然災害を、身近な問題と考えるようになった。社会人となったいまも追悼式典に足を運んでいる。

 続いて市主催の追悼式があり、参列者らが献花した。平岡清司市長は、7月末にカムチャツカ半島沖で起きた巨大地震による津波警報や、発生が懸念されている南海トラフ地震を引き合いに「自然災害の脅威は身近に迫っていると日々痛感している。安全で安心して暮らせる、災害に強いまちづくりに取り組んでいく」と述べた。

 自治会長の三木栄次さん(66)によると、水害前は約40軒だった宇井地区の戸数は現在11軒に。市外への転出と高齢化が進む。「守っていかなしょうがないわな」。いまは回覧板を各戸に持って回り、お年寄りへ声をかけて健康状態を確かめている。

備蓄指針の策定進める 奈良県知事

 紀伊半島大水害から14年となるのに関連し、山下真・奈良県知事は3日の定例会見で「近年、線状降水帯の発生に伴う集中豪雨や台風による被害が頻発している」と述べ、県として五條市での防災拠点整備や消防防災ヘリの更新、備蓄指針の策定などを進めていることを紹介した。県民に対しては、災害から身を守るため「警戒を怠らず、自助による備えをしてほしい」と呼びかけた。

紀伊半島大水害

 紀伊半島大水害 2011年の台風12号による豪雨で、紀伊半島を中心に土砂崩れや河川の氾濫などが起こった。台風の動きが遅く、紀伊半島の各地で8月30日~9月5日の総降水量が1千ミリを超えた。死者は和歌山県56人、奈良県15人、三重県2人、行方不明者は和歌山県5人、奈良県9人、三重県1人に上った。

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