<A Scene>70年越しの真実~ハンセン病と優生手術~

  • 【ドキュメンタリー】いのちに優劣ありますか 70年経て見えた真実

 結婚を望むなら子どもをあきらめるしかない。

 日本には戦後も長らく、閉じた社会の一部に独自のルールがあった。

 「結婚するためには仕方がなかったんや」

 奈良県出身の中尾伸治さん(90)は1956(昭和31)年5月、ルールに従い、結婚した。新郎新婦はともに21歳。

 子どもをほしい気持ちは封印してきたはず。だが結婚から70年近くたった今も、悲しみの衝動に突き動かされる。

 「なぜ僕は夢を奪われたのか」。中尾さんは自分が受け入れた理不尽なルールを知ろうとした。

 この3月、中尾さんに結婚関連の公文書等が開示された。結婚届や結婚許可についての2枚の稟議(りんぎ)書など計4枚。

 文書開示の日、中尾さんの許可を得て朝日新聞の記者が立ち会った。

開示された優生手術願書。「優生手術を行って頂きたいので妻の同意を得て御願します」の文字の左に、代筆されたと思われる中尾さん夫婦の署名がある=2025年3月13日午後、岡山県瀬戸内市、田辺拓也撮影(画像の一部を加工しています)

書いた覚えがない結婚届 つながった強制隔離の過去

 「こんな文書を目にしたのは初めてや」。中尾さんは、本人から提出されるはずの結婚届も記憶になかった。そう思うのには理由があった。

 いずれの開示文書にも、名前の「伸治」がすべて「伸二」と誤って記されていた。本人の署名欄がある結婚届も含めてだ。中尾さん以外の第三者が作成した可能性を強くうかがわせた。

 当事者ですら知らなかった結婚をめぐる文書の存在。いったい誰が、なんのために?

 手がかりは同じく開示された優生手術願書だ。

 優生手術。不妊手術、断種と…

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