日々出会う認知症の人だけではなく、人間というものは、「わたしは大丈夫」と思いがちな存在です。自信をなくして何をするにも不安な日々を送れば、人生は残念なことになってしまいますから、「少々できないことや物忘れがあっても、気にせずに日々を送ってください」と日頃は言っています。今回登場する人は、自分の身の引き方を考える勇気を示した人です。個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名でお送りします。
先代からの店を守り
西元慎吾さんは昭和30年代のはじめに生まれ、日本が急激な発展を遂げた時期を生きてきました。商店街にある文房具店は彼の父親の代から続いている「老舗」です。
第2次世界大戦が終わったころ、この地域は一面の焼け野原でした。そこで店を始めた父親が初代。西元さんは2代目として、地域の復興と共に店も発展させた。彼はいつも店に立って接客する人でした。
店員に任せて社長室にいてもよかったのですが、西元さんは父親から「どんな時も店に出てお客さんに向き合い、社会の風を感じ続けなければならない」という教えを守り続けてきたからです。
だからこそ、店は高度成長時代のトイレットペーパー騒動、リーマン・ショック後の不景気な世の中でも社会ニーズを読むことができました。
そんな彼が今年の夏、妻から何度も「計算の間違い」を指摘されるようになりました。異常に暑い夏でアーケードのある商店街でも店頭に立つと脱水になりそうになります。水分を欠かさないようにしてきましたが、ある日、目の前がくらくらして倒れ、受診した脳外科から紹介されて私のクリニックを受診したのでした。
検査の結果、西元さんは軽度の血管性認知症であることがわかりました。大きな脳梗塞(こうそく)や血腫、脳腫瘍(しゅよう)はない一方、認知機能がかなり低下していることに脳外科医は気づき、私に紹介したのでした。
「病名を聞きたい」と希望
西元さん自身も直近のことを…