胎内被爆者の手記集が、全国の学生たちの手で英訳された。呼びかけたのは、広島市出身の一人の学生。被爆地の外にいる同年代だけでなく、多くの人に被爆について知ってほしいと活動を続けている。
貞岩しずくさん(24)=兵庫県西宮市=は、高校まで広島市で育った。学校の授業以外では平和活動をしたことはないが、「少なくとも原爆のことは知っとかんとまずいとは思っていた子どもだった」と振り返る。
その後は、関西学院大学に進んだ。2003年に関学大の学生が広島の平和記念公園で折り鶴放火事件を起こしたことをきっかけに、同大で平和学の講義が始まり、広島でも実習があるからだ。
原爆へのとらえ方の違いは、広島を出てすぐに感じた。大学1年の夏休み、友人から8月6日に遊ぼうと誘われ、戸惑った。広島では、原爆で亡くなった人を悼んで自宅で過ごすのが当たり前だった。広島県外に進学した同級生らと、同じように戸惑った話で盛り上がった。
大学3年のときはコロナ禍で、楽しみにしていた広島実習は中止に。ただその代わりにあったオンライン講義で胎内被爆者の手記集を知った。
偏見に苦しむ胎内被爆者の声
原爆胎内被爆者全国連絡会(…