「震災遺構」の保存を提案してきた青木賢人・金沢大准教授=2025年2月10日午後2時31分、石川県金沢市角間町、上田真由美撮影

 昨年元日の能登半島地震で被害を受けた建物や場所を「震災遺構」として保存しようという動きが始まっている。発災直後から保存に向けた発信を続けてきた自然地理学者の青木賢人(たつと)・金沢大准教授(55)は、2011年の東日本大震災時と比べて残すことを受け入れる社会の側の変化を感じているという。能登ならではの残し方、伝え方を聞いた。

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 災害の教訓をどう後世につなげていくかを考えたとき、震災遺構というのは、とても大きな力を持ちます。

 石川県が遺族に了解を得て公表している範囲では、能登半島地震で津波によって亡くなったという方は2人でした。

 地震からわずかな時間で津波が到達し、集落によっては壊滅に近い被害を受けましたが、多くの方が逃げることができた。東日本大震災をきっかけに、石川県では津波防災のあり方を見直し、避難計画策定の支援や避難訓練を行ってきました。これは、東日本の教訓が生きたと言えるでしょう。

 記憶というものは、どうしても薄れていきます。そういった中で、本物そのものが残ることには意味がある。

東日本大震災の発生時刻を知らせるサイレンに合わせて、宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎に向かって黙禱をする人たち=2025年3月11日午後2時46分、同町、井手さゆり撮影

 例えば、宮城県南三陸町の防災対策庁舎は3階建ての屋上まで津波が来ました。目の前で見上げると、とんでもない高さまで津波が来たということが一目瞭然です。遺構があることによって、自然現象の力の大きさが伝わります。

 こうした防災情報の伝達といった観点に限らず、献花台で手を合わせることによって悼む気持ちを継承するという意味でも、具体的な物があるということには大きな力があると思っています。

震災遺構は「資源」という理解

 東日本大震災のときには、遺構を十分に残せなかったという後悔があります。岩手県大槌町では、観光船「はまゆり」が屋根に乗り上げた民宿が解体・撤去されました。

 早めに声をあげないと、どん…

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