避難生活にも少し余裕が出てきたころ、支援物資のお礼にと、馬場千遥さん(右)ら狼煙の人たちは隆起した海岸でサザエをとった=2024年2月10日、石川県珠洲市狼煙町、馬場千遥さん提供

 取材中には、泣かないことにしている。

 どんなに胸の詰まる話を聞いても。どんなにあたたかい話に心が震えても。記者は、当事者ではないから。

 それでも、その動画を目にしたとき、こみ上げてくるものをこらえるのに必死になった。撮影したこの人が、過ごしてきたこの日までの57日間の濃さを思った。

 「馬場ちゃーん、ありがとー」

 目にいっぱいの涙をためたおばあさんが、カメラにぐんぐん近づいてくる。

 2月26日、能登半島の先端にある石川県珠洲市狼煙(のろし)町。元日の能登半島地震で甚大な被害を受け、県南部の旅館に2次避難していたお年寄りたちが、1カ月半ぶりに集落に帰ってきた。動画は、避難所となっていた集会所に残って待っていた人たちと、帰ってきた人たちの再会の瞬間を記録していた。

 撮影したのは馬場千遥(ちはる)さん(33)。5年前に石川県珠洲市に移住し、あの瞬間も、この場所にいた。

【狼煙町の連載はこちら】避難所で始めた「復興会議」

能登半島の先端にある「狼煙」集落。地震で傷つき、まちの再生に向けて模索を続けた住民たちの1年を追いました。

 元日の午後4時10分。

 集会所であった集落の新年互礼会後の宴会中に、最初の地震が起きた。参加者たちは集会所の外に出た。

 最後に馬場さんが外に出たとたん、とてつもない揺れが来た。

 馬場さんは思わずしゃがみ込んだまま、ごろごろと地面を左右に転がった。集会所が、目の前で豆腐のように変形して揺れていた。

 その後も大きな余震が続いた。真っ暗闇の中で、多くの住民たちが「道の駅 狼煙」の駐車場に車を並べ、車中泊した。

 馬場さんは車の中で、フェイスブックに投稿した。

 「珠洲にいますが、ひとまず…

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