能登半島地震から4カ月余りが過ぎた今も、石川県珠洲市の被災者らは水道の復旧の遅れに不便な生活を強いられている。だが、1960年代初頭、市が「最大の事業」と位置づけた上水道の建設に、反旗を翻した地区があった。その地を訪ねると、災害に強いインフラのありようが浮かぶ。
「地震でどの家も、水には苦労しています」
4月末、珠洲市の中央部を流れる竹中川の近くで、菓子店を営む泉佳和さん(54)は語った。
自宅兼店舗は傾き、向かいの倉庫で暮らす。自宅前の送水管は4月10日ごろ「通水」したが、水が通ったのは自宅前の公道まで。敷地内の配管は修理できておらず、自宅の蛇口をひねっても水は出ない。下水管や浄化槽が破損して排水を流せない世帯も多く、「どの家も似たような状態です」と言う。
この地域には、実は水道計画に反対した過去がある。
1954年に3町6村が合併…