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佐川恭一さんの「アイデンティティー」という京都大学の時計台=京都市左京区
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 「大学はどこ出たの?」。会社員になって10年、いまだに聞かれることも多い質問だ。模試の偏差値に一喜一憂し、プレッシャーに耐えながら勉強した日々は、今でも夢に出てくる。いつまでも逃れることのできない「学歴」と、どう付き合えばいいのか。京都大学卒の作家・佐川恭一さんに聞いた。

根っこに残る執着

 ――今月刊行のノンフィクション作品「学歴狂の詩(うた)」で、天才ともてはやされた小学生時代から壮絶な受験勉強を経て京大に進学した経験を描いています。大人になった今、偏差値や大学名に執着してしまう「学歴狂」は卒業しましたか。

 そう言いたいところですが、根っこでは残っていると思います。癖が取れないんです。テレビでどこかの高校が進学校としてちやほやされていると、つい進学実績を調べてしまう。東大か京大の合格者数が20人を超えてたら、ちょっと頑張ってるやん、と思います。

 ――出身高校は京都の某進学校。どんな環境でしたか。

 学歴以外の価値観がほとんど消える世界です。絵やサッカーがうまいとか、格好いいとか、話が面白いとか、勉強の他に何ができようが駄目なんですよ。とにかく成績順で序列が決まって、東大・京大・国公立医学部以外の進学先は「無」とされる。

 逆に言えば、勉強しかできない人にとっては住みやすい環境でした。後々はもっと価値観を広げないとやばいことになるんですけど、コミュニケーションが苦手で勉強しか才能がない人ってやっぱり、いるじゃないですか。その中に、学者として将来すごい成果を残す人がいるかもしれない。今は学力一辺倒では駄目だという風潮が高まっていますが、勉強しかできへんやつが生きる道を、ちょっとだけでも残してほしいなと思います。

学歴至上主義の中で生きてきたという佐川さん。記事後半では、人が学歴にとらわれてしまいがちな理由や、コンプレックスとの付き合い方について語ります。

 ――1浪を経て入った京大で…

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