柳ケ浦―二松学舎大付 七回表柳ケ浦2死三塁、打者田原の時、伝令でマウンドの選手たちに話をする二松学舎大付の日笠主将(左から2人目)=白井伸洋撮影

(23日、第97回選抜高校野球大会2回戦 東京・二松学舎大付―岩手・花巻東)

 春夏合わせて13回目の甲子園となる二松学舎大付(東京)は、18日の開幕試合で柳ケ浦(大分)を3―2で破った。

 選抜大会での勝利は43年ぶりだった。

 これまでの最後の白星は、市原勝人監督がエース左腕だった1982年(第54回大会)準決勝の中京(愛知、現・中京大中京)戦。決勝では、PL学園(大阪)に2―15で敗れた。

 96年に市原監督が就任し、2002年に20年ぶりに選抜に出場したが、大体大浪商(大阪)に4―5で敗れた。以後、04年、15年、22年、23年と出場したが、いずれも初戦で敗れた。

 初戦突破のカギとして、市原監督が挙げたのが「意思」だった。

 ある出来事が、きっかけだった。

 選抜出場が決まった1週間後。1月31日朝、寮に貼られたポスターが床に落ちていた。選手たちは、その横を素通りしたという。

 翌日の練習後のミーティングで、市原監督は言った。

 「意思だ、意思」

 自分はこうあるべきだ、という考え(意思)があれば、電車に立つお年寄りや、落ちたゴミを見て葛藤する。その上で、怠けず行動したことが自信になるという。

 「言われる前に『やっちまった』と思ってほしいんだ。(ポスターを)拾えなかった自分が、ここ一番のバッターボックスで何とかできるのか」

「のみ込まれる」甲子園の開幕試合、選手は硬かった

 約1カ月半後の柳ケ浦との開幕試合。選手は意思を示せたのか。

 「硬かった。苦しかったのか…

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