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伊勢湾台風の体験者から話を聞く児童=2024年9月26日、名古屋市南区の白水小、山田知英撮影
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 全国で5098人の死者・行方不明者を出した伊勢湾台風から26日で65年。愛知や三重、岐阜では高潮や洪水で多くの住民が犠牲になった。1959年の発災当時を知る被災者は子どもたちに語り継ぎ、今も残る復興住宅は当時の記憶を呼び起こす。

「農村アパート」と呼ばれた復興住宅

 岐阜県養老町に一風変わった鉄筋コンクリート3階建ての「農村アパート」がある。伊勢湾台風の復興住宅だ。研究者によると、若かりし頃の著名建築家も設計に携わったとみられる。新しい農村モデルを目指した近代建築だが、約60年を経た今も、現役で使われている。

 豪壮な木造瓦ぶきの家々が連なる養老町田の農村集落に、長さ約50メートルのコンクリート造りの建物が異彩を放つ。5戸が入る棟割(むねわ)り長屋だ。

 旧農林省が設計した「農山漁村向集合住宅」。養老町では伊勢湾台風の後、町の復興住宅として1961年に3棟建てられたという。

 「農村アパート」と呼ばれ、浸水対策として住宅1階は作業スペースで、2、3階が住まいだ。外階段で2階に上がり、3階へは内階段で上がる構造だ。2階の上の一部がテラスだったり、共用外階段が三つあったりと外観も凝っている。 1階は壁なしの共用作業場で、かつて集会室もあったという。流しと調理場、かまどを隣り合わせたコンパクトな台所も、当時導入され始めた都会の団地風だ。

 名古屋大院環境学研究科の堀田典裕准教授(建築歴史・意匠)によると、63年度までに農山漁村向集合住宅は全国で計13棟建設された。三重県木曽岬町にも建てられた。

 その設計事務所にアルバイトで出入りしていたのが、当時大学院生で後に世界的建築家となる黒川紀章さんという。自身も愛知県蟹江町の実家で伊勢湾台風の水害に遭って、自衛隊に救出された経験を持つ。直後に地上数メートルの人工地盤の上に農村集落を造る「農村都市計画」を発表。養老町の農村アパートにそっくりの設計図も残しており、実際にかかわった可能性が高いという。

 町が62年に発行した「養老…

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