日本語と少しのうちなーぐち(沖縄の言葉)しか話さない母は、決して自分を「日本人」と言いません。
30年ほど前、秋田県の小学校で、親子みんなでゲームをすることがありました。でも、チーム分けで私と母の名前だけ呼ばれず、ゲームが始まった。「名前が抜けただけじゃない?」と言う私を無視して、母は私の手を引いて家に帰りました。ずっと無言でした。
母は1950年の沖縄で、米軍人で白人の祖父と沖縄出身の祖母の間に生まれました。祖父は母が生まれる前にアメリカに帰国して米国の女性と結婚し、母には一度も会わなかった。母は70年代に首都圏に集団就職し、秋田出身の父と結婚。今もマンションで受付の仕事をしています。
唯一の教訓は「目立たないこと」
「ハーフ」として生きるのは…