太平洋を望むグラウンドは、和やかな空気に包まれていた。輪の中心にはいつも、縦じまのユニホームをまとった背番号「22」の姿があった。
昨年11月、プロ野球阪神の高知・安芸キャンプ。球団の第36代監督に就任した藤川球児監督は、積極的にコミュニケーションをとった。練習中は選手のもとに歩み寄り、話しかける。ボールを握って実演してみせることも。コーチとはこまめに情報を交換しあった。
44歳の新監督にはこんな思いがあるからだ。
「みんなとの距離感が大事。遠すぎず、近すぎず、そんな存在でいられたら」
ピリピリとした緊張感があった昨年までとは一転した。岡田彰布前監督は選手に話しかけることはほとんどなく、近寄りがたいオーラもあった。
変化は、キャンプ中の紅白戦にも表れた。長打力が持ち味の佐藤輝明を2番打者で起用した。つなぎ役として小技のきく中野拓夢で固定していた岡田前監督とは対照的な考えだ。
「僕もたくさん野球を見てきた。答えは一つではないので」
にやりと笑った。
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藤川監督の球歴は輝かしい。高知で生まれ、高知商高2年時の1997年夏に全国選手権に出場。1学年上の兄・順一さんとの兄弟バッテリーで話題になった。98年秋のドラフト1位で阪神に入団。「火の玉」と例えられた快速球でならし、06、09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は日本の優勝に貢献した。40歳まで現役を続け、日本通算17年で243セーブを積み上げた。そして、引退から4年後に監督へ。
誰もがうらやむ野球人生だろう。だが、本人は首を横に振る。華やかさの裏で、もがき続けた3年間があったからだ。
「本当に苦しいことばかりで、孤独だった」
現役生活を振り返ったとき…