Smiley face
写真・図版
大病も寛解し、精力的に活動する佐野史郎さん=本人提供

 虫の知らせだったのでしょう。大病の進行を身体はわかっていたのかもしれません。

 2021年の3月、松江市の美保関で小泉八雲作品の朗読公演が開催されました。松江の実家に泊まり、久しぶりに宍道湖のほとりでのんびりしていました。好きなカメラを構え、湖畔に止まる青鷺(あおさぎ)などを撮っていました。

 「ああ、楽しかった」。ついそんな言葉を発していましたが、そのことが妙にひっかかりました。俳優の性(さが)なのか、その無意識を探ろうとしました。普段から自分の発する言葉や態度を意識し、自己対話が習慣になっています。身体から発せられたシグナルを感じ、その意味を問い直していました。

 2カ月後、血液のがんの一種、多発性骨髄腫と医者に告知されます。「で、どうしたらいいですかね?」。まるで他人事(ひとごと)のように訊(き)き返していました。宍道湖で感じた兆しの意味をその時知りました。

 不安がなかったと言えば噓(うそ)になりますが、冷静にその事実と向き合うことができました。重い病状を、まるでドラマのワンシーンを演じるようにして捉えていたように思います。告知するお医者さんの物言いや、がんを宣告された時の患者としての自分自身の反応を冷静に観察していました。そうすることで現実の辛(つら)さから逃れようとしていたのかもしれません。

心中叫んだ「早く楽に!」

 入院中、免疫力の低下から敗血症になり、高熱にうなされました。敗血症は地獄のように辛いものです。太ももの内側を剣山で刺されるのにも似た痛みに襲われました。38~39度もの熱が2週間も続くと流石(さずが)に気弱になり、「早く楽にしてくれ」と心中で叫んだこともありました。

 一方で「まだまだっ」と声に出して、自らを鼓舞することもありました。けれどその物言いは下手なセリフのようで、「死にかけている人間はそんな言い方はしないだろう」と演出家に叱責(しっせき)された時のことを思い出し、思わず1人で笑ってしまいました。

 土俵際に追い込まれた時の、人間の心や体の状態は、普段の想像を超えて、思いもよらない反応をすることを学ぶ機会ともなっていました。

 2カ月かかり、ようやく退院。その年の12月に再入院し、抗がん剤による治療や自分の細胞を使った自家移植をしました。それらが功を奏して寛解し、仕事に復帰しましたが、再発の可能性のある病気です。

 仕事に復帰した後、ドラマで殺されるシーンがあったのですが、実に喜々とした気分で演じました。生きていないと殺される役を演じることはできない、と残酷なシーンも心あたたかく感じられました。いただいた新たな命を大切にし、来春には70歳。これからも精進していかなければと戒めています。

 初回でも述べましたが、昨年…

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