その日の取材ノートを開くと、乱れた字から、興奮でボールペンを握る手に力がこもっていたことがわかる。
能登半島地震の被災地で、“未来”が動き出そうとしている――。そう感じた。
昨年11月、石川県輪島市三井(みい)町。県道沿いにある茅葺(かやぶ)き屋根の古民家「茅葺庵(かやぶきあん)」で、全国から集まった老若男女15人が輪になっていた。
「山林を相続したんですが、獣の出現が切実な問題で」
「自給自足的な生活にあこがれて」
「経営しているシェアハウスに薪(まき)ストーブがあり、薪の調達に興味がありました」
これから始まる「森づくり勉強会」を前に、集まった人たちが参加の理由を話す。年齢も職業も、背景も多様だ。
自己紹介を終えた一行は、すぐそばの森へ向かった。地元の人たちが「アテ」と呼ぶ石川県の木・ヒノキアスナロが生い茂っている。ここが「森づくり」のフィールドだ。
ショベルカーで土を掘り、固め、軽トラック1台が通れる細い道をつくっていく様子を、目の前で見学する。交代で、ショベルカーの運転席にも座った。
「いま必要なのは『山守』をする人を増やすこと」。講師として招かれた宮田香司さん(53)が言う。日焼けした顔で人なつっこく笑う宮田さんは、福井市で持続可能な森林経営を教える「自伐型林業大学校」の校長だ。
勉強会を主催したのは、地元の若い世代らでつくる「のと復耕ラボ」。震災後の2月に発足し、古民家「茅葺庵」を拠点に、ボランティアの派遣を担ってきた。
さまざまな縁がつながり、「森づくり」にたどりついた。
きっかけは、あの地震だった。
発災から間もない昨年1月1…