国立文化財機構「文化財防災センター」の文化財防災統括リーダー、小谷竜介さん=奈良市の同センター

 度重なる災害の中、地域の歴史やくらしを語る文化財をどう守るのか。2020年に開設された国レベルの組織「文化財防災センター」(本部・奈良市)の文化財防災統括リーダー、小谷竜介さんに聞きました。

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 ――災害時に文化財を守る仕組みはどのように変わってきましたか。

 「1995年の阪神・淡路大震災では、全国の専門家と博物館や学会などの組織が協力し、被災した文化財を救う活動がありました。その知見は2011年の東日本大震災でも生き、国立文化財機構を中心に作られたネットワークが有効に機能しました。その枠組みを維持しようと文化庁が支援し、その後の災害にも対処。その流れで2020年、『核』となる常設組織として、国立文化財機構の中に文化財防災センターが設けられました」

 「近代以降の文化財保護の体制は、1897(明治30)年の『古社寺保存法』にさかのぼります。明治の初め、廃仏毀釈(きしゃく)で寺が荒廃したことから、修理や保存への国の補助が始まりました。『国宝保存法』が制定されたのが1929年。今に続く『文化財保護法』が1950年に施行され、地方自治体による保護条例の整備も徐々に進みました」

 ――始まりは廃仏毀釈。文化財保護法ができたきっかけの一つは1949年の法隆寺の火災。破壊を経て保護する体制が進んでいます。

 「そういう側面はあると思います。最近では、阪神・淡路大震災の翌96年に『登録有形文化財』制度が出来ました。50年を経過した歴史的建造物で一定の評価を受けたものを『届け出』という緩やかな形で守る仕組みで、古い建物を大事にする機運を高めてきました」(登録対象はその後、他の有形文化財にも拡大)

 ――文化財防災センターはどんな仕事をしているのですか。

 「普段は関係機関の人たちとの話し合いや調査、啓発などが中心です。災害が起きた時、お互い顔を知っている関係だと連携が円滑になります」

 「災害が起きると、様々な機関と協力して、『文化財レスキュー事業』と『文化財ドクター派遣事業』を実施します。レスキュー事業では、被災した文化財を安全な場所へ運び出して、破損がそれ以上ひどくならないよう応急処置をして保管します。ドクター派遣事業は、建造物など動かせない文化財が対象で、専門家が現地を訪れて被災状況を調べ、応急処置や復旧に向けて助言します」

2011年3月11日、あの時自治体の職員は

 ――東日本大震災で広く知られるようになった事業ですね。当時、小谷さんは宮城県職員だったそうですね。

 「県庁で文化財を担当してい…

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