有田守成さん=広島市南区のアトリエ
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聞きたかったこと 広島

 洋画家の有田守成(もりしげ)さん(93)=広島市南区=はこの春、自身のアトリエを整理していて、若い頃に描いた絵を見つけた。広島で被爆した父のスケッチだ。やせ細ってあばらが浮き、眉間(みけん)にしわを寄せて寝ている。

 父は戦後、目に見えて衰弱。有田さんが絵に描いた数年後に亡くなった。「覇気がなくなってね。医者代が大変だった」。絵を見ながら、焼け野原になった広島の記憶を語った。

 有田さんは1945年の春ごろまで、千葉県の航空機乗員養成所にいた。飛行機を操縦するための訓練を受けていた。当時14歳。3月10日未明の東京大空襲を目のあたりにした。暗い空から焼夷(しょうい)弾が次々に落とされ「花火が上から降ってくるようだった」という。

 その後、群馬県に疎開。食べる物がなく、毎日山へ入り、ギボウシやゼンマイなどの山菜を採った。8月に入り、「広島が全滅した」と人づてに聞いても、広島にいる家族の身を案じる余裕はなかった。皇居が焼け落ちた、という話も伝わり、何が真実なのかわからなかった。

画業のかたわら機関士に

 8月15日も、山菜を採りに…

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