長崎市で開かれた平和について考える催しで、日本被団協のノーベル平和賞受賞について語る朝長さん。「被爆者が体験を繰り返し語ることによって、核兵器は二度と使えないというコンセプトを確立したが、そのコンセプトがいま崩れている。それをもう一回つくろうということで、平和賞が決まったと想像しています」と語った=2024年11月23日、長崎市、小川崇撮影

 長崎原爆の被爆者で、白血病の研究などに取り組んできた医師の朝長(ともなが)万左男(まさお)さん(81)が来月、ノーベル平和賞の授賞式があるノルウェー・オスロに招かれ、講演する。被爆者医療に長年携わり、生涯にわたって心と体をむしばむ放射線の影響を目の当たりにしてきた。講演では、核保有国に向けて核兵器の非人道性を改めて訴える。

 長崎市の郊外にある、高齢の被爆者が暮らす養護施設「恵の丘長崎原爆ホーム」。11月初旬、朝長さんは施設内の診療所で、背中などにやけどの痕が残る女性(93)に「最近はお元気ね。目はどうですか」と語りかけた。診察は50年近く続けており、現在は診療所長も務める。

 朝長さんは爆心地から2・7キロの自宅2階で寝ていたときに被爆した。当時は2歳。家は爆風で崩れたが、梁(はり)ですき間ができて無事だった。

 思春期のころ、被爆者に白血…

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