Smiley face
写真・図版
長崎原爆病院で紙カルテの電子化の作業が進められている=長崎市茂里町、小川崇撮影
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版

 長崎で被爆者医療を担ってきた日本赤十字社長崎原爆病院(長崎市茂里町)が、開院した1958年から50年間分の紙で保存された外来カルテの電子化を終えた。診療した被爆患者は5万人以上にのぼり、情報をビッグデータとして活用する検討を、同病院や長崎大学などが進めている。

 長崎原爆病院は原爆投下13年後の58年に開院し、被爆者らを中心に治療や健康診断などを担ってきた。2009年に電子カルテを導入するまでの全患者の外来カルテなどを地下室に保存していたが、20年までに実施された隣接地への病院移転を前に電子化を決めた。

 電子化計画に関わった相川忠臣医師(82)は「被爆者の貴重な資料で、世界遺産だと感じた。残さなくてはいけないと思った」と振り返る。

 保存されていた大量のカルテの束を並べると、総延長3.2キロに及ぶ。相川さんは、「代々の医師たちが、被爆医療に対する熱意を持ってカルテを大事に残してきた」と語る。

 病院側は記録の保存について…

共有