奈良市の富雄丸山古墳で昨年出土した3枚の鏡が30日、1年以上にわたるクリーニングを終えて公開された。それぞれ紀元前後、2世紀末~3世紀前半、3世紀半ばに作られたとみられる個性的な鏡。いつ、どのような経緯で奈良にもたらされたのかに注目が集まる。
- 年代異なる多様な銅鏡を副葬 奈良・富雄丸山古墳「すべて一級品」
「様々な時代に製作された銅鏡が、おそらく選択的に集められ、副葬されたことに大きな意義がある」。この日会見した奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)の岡林孝作・学術アドバイザーは、3枚の銅鏡の学術的な重要性をこう評価した。
いずれの鏡も、中国大陸で製作後、日本列島(倭)に運ばれたとみられる。
最も古いのは、前漢代~新代にあたる紀元前1世紀末~後1世紀初めの虺龍文(きりゅうもん)鏡(2号鏡)。その次が後漢代にあたる2世紀末~3世紀前半の画像鏡(3号鏡)。最も新しいのが三国魏の3世紀中ごろの三角縁神獣鏡(1号鏡)だ。
3枚の鏡は何を物語るのか
岡林さんは、これに棺の外側…