自民党の西田昌司参院議員がひめゆりの塔の展示について「歴史の書き換え」などと述べた問題。後に一部撤回したものの、沖縄県内では抗議や批判の声が収まらない。琉球大学の山口剛史教授(平和教育)は、西田氏の発言は事実誤認にとどまらない問題をはらんでいると指摘する。どういうことなのか、話を聞いた。

沖縄戦で犠牲になった学徒隊の生徒らを慰霊する「ひめゆりの塔」をめぐる自身の発言に関して、記者会見に臨む自民党の西田昌司参院議員=2025年5月9日午後1時6分、国会内、岩下毅撮影
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 ――西田氏の発言をどう受け止めましたか。

 「沖縄戦の研究は、生存者やその家族らの体験を研究者らが聞き取り、証言を重ね合わせて『沖縄戦は何だったのか』という『像』を作り上げてきました。『軍隊は住民を守らない』という教訓はそこから見いだされています」

 「ひめゆり平和祈念資料館の展示も、元学徒らが『生き残って申し訳ない』という贖罪(しょくざい)の思いを抱えながら、当時の体験から沖縄戦の実相を踏まえてつくり出したものがベースにあります。こうした事実を無視し、特定の見方で『歴史の書き換え』と語ることの方が歪曲(わいきょく)であり、厚みのある沖縄戦像を否定するものと言えます」

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 ――戦後、沖縄戦の証言はどう集められたのでしょうか。

 「米軍統治下の1950年、沖縄タイムスが住民証言を元に沖縄戦を記録した『鉄の暴風』を出版し、続いて『那覇市史』や『沖縄県史』、各市町村での体験記録が編まれてきました。72年に沖縄が日本に復帰し、自衛隊が配備されることになると、日本軍とは何だったのかが問い直され、日本軍による住民虐殺の事実が掘り起こされるようになります」

 「こうした掘り起こしは、軍隊の支配とは何か、人権侵害がなぜ起きるのか、など目の前の不条理と重ねあわせながら進みました。単なる掘り起こしではなく、その時々の課題とリンクしながら丁寧に聞き取られてきたものなのです」

「沖縄戦」の問い 作り替えたい人たちが「常に存在する」理由

 ――過去にも、こうした沖縄戦像を修正しようとする動きがたびたび起きています。

 「1982年に高校日本史教…

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