大相撲史上初の外国出身横綱で、今月、54歳で亡くなった曙太郎さん。訃報(ふほう)に接し、相撲を担当していた頃の取材ノートとハードディスクをあさった。探したのは、現役時に家族で写った写真。もう一つは「漢字の書き取り」だ。
写真の日付は2000年6月22日。
生まれたばかりの長男を披露したいと、東京都羽村市の自宅に担当記者が招かれた。泣き出した我が子をあやそうとおどけた姿を、使い始めたばかりのデジタルカメラにかろうじて残した。
土俵では決して見せなかったけれど、日々接していた私たちにはなじみ深い表情だった。
心優しく、真面目で、誇り高い男だった。
01年に引退して現役名のまま親方となり、場所中は記者クラブに出勤して、十両と幕内の星取りと決まり手を台帳に書くのが仕事になった。
ある日、手近の紙に朝青龍、武蔵丸、魁皇……と書き始めた。
「闘牙(とうき)は難しいか…