先の大戦中、戦闘機を造るため台湾から日本へやってきた「少年工」たちがいた。戦後80年。いまや東北を訪れるインバウンドの約半数が台湾からの宿泊客が占めるようになるなど、日台交流は盛んだ。その土台にもなった、台湾少年工たちの80年を追う。
連載「台湾少年工の戦後」#5 交流のきっかけは偶然の再会
現在、台湾の元少年工らと交流を続ける「高座日台交流の会」。その会長・石川公弘さん(91)と、元少年工たちとの「再会」は偶然だった。
1992年春、台湾の民主化を受けて日本を再訪した少年工らが、かつて高座海軍工廠(こうしょう)の宿舎があった神奈川県大和市の市役所を訪問した際、市長が不在だったため、代役として対応したのが、市議会議長になったばかりの石川さんだった。「実は私もあそこで暮らしていたんです」と石川さんが言うと、元少年工たちは驚きの声を上げた。「我々はあなたのランドセル姿を覚えていますよ!」
- 【初回から読む】台湾から来た8400人
翌93年には元少年工ら13…