小説やエッセーなどに比べ、詩はとっつきにくいイメージがある。言葉がふだん使う意味から離れ、論理でつながっていない。ただ、読んでいて不意に鮮やかなイメージが浮かぶことも。そんな「詩の力」とは何なのか。ドイツに長く住み、欧州各国やミャンマー、香港など世界の詩人たちと交流がある四元康祐さんに、「詩の力」について聞いた。
――詩という文芸ジャンルの存在感に、欧州と日本では違いがありますか。
「30年近くドイツで暮らし、2020年に帰国しました。詩の関連書籍の出版点数は、欧州より日本のほうが多い気がしますし、広大な会場で開かれる文学フリーマーケットはいつも若い人でにぎわい、多くの詩の本が売り買いされています」
「日本の複数の大学で詩の授業をもってきましたが、アリストテレスの詩学を講義する、と言うと退屈そうな顔をする学生たちも、『詩を書いて、隣の人と読み合いなさい』と言うと、顔つきが変わる。受講希望者も毎回、定員の何倍もいて絞るのが苦労するほどです」
「多くの大学で詩人が教えていますが、その受講者の学生の詩を掲載する『インカレポエトリ』という雑誌も刊行されました。本格的に詩作に進む人も出た。昔に比べ、広く浅くかもしれませんが、若い世代の詩への関心は広がっていると思います」
――詩が、SNSで広がっている短歌と同様、若い人たちの身近にある、と?
「そう思いますが、いいことだけではなく、そこに危うさを感じるときもあります」
「大学生を見ていると、詩を書き、詩を読む行為を通じて、共感や感動への希求がとても強いように思えるのです。共感に飢えている、と言ってもいいでしょうか」
言葉を信じない社会
「一人きりの孤独の殻の中で…