詩を書く青年だった。同胞が肩を寄せて暮らす大阪・猪飼野(いかいの)での文学同人会との出会いが「梁石日(ヤンソギル)」を生んだ。
〈最初は何気(なにげ)なく入ったのだが、入って驚いた。自分が今日迄(まで)井戸の中の蛙(かわず)であったことを悟ったからである。自分が本腰を入れて真剣に詩を研究し始めたのはその後である。〉
20歳の時、大阪朝鮮詩人集団の「ヂンダレ」17号(1957年2月)に本名の梁正雄で寄せた短文「回想」の一節だ。
その前年、朝鮮人長屋に囲まれた古い病院での友人の見舞いで「この人はなあ、詩人やねん」と同室の患者を紹介された。「在日で詩を書く人間なんて僕だけやと思うてたから、驚いた」。詩人の金時鐘(キムシジョン)さん(95)との出会いを生前、私に語った。両親と同郷の韓国・済州島(チェジュド)から戦後に渡ってきた金さんを「おっさん」と呼んで実兄のように慕った。春の済州を彩る野花の名を冠する、金さん主宰の詩誌にのめり込んだ。
金さんの妻、姜順喜(カンスニ)さん(90)も詩誌の同人で新婚夫婦と梁さんは多くの時間をともに過ごした。「何から何まで一緒でした。彼なりに僕の面倒をみているつもりやったんでしょう」と金さん。姜さんは「晩ご飯買うお金もないのに、映画をよう一緒に見に行きました」と振り返る。猛烈な読者家で、読んだ古本を売っては酒を手に入れた。
「梁石日」の名は「ヂンダレ…