イラスト・ふくいのりこ

 認知症になるとすべてのことがわからなくなる。そんなイメージを持つ人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。今回は、物忘れや判断力の低下に悩みながらも仕事を続けてきた男性の勇気と、彼を支えた仲間の寛容さをお伝えします。個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名で紹介しましょう。

 病院の脳神経内科でアルツハイマー型認知症(軽度)の診断を受けてから1年。当時67歳だった荒本恒夫さんは、長年勤めてきた住宅販売業者の経理担当者として困っていました。15年ほど前のことです。

 少しずつ間違いが増え、経理業務が何度やってもうまくいかないのです。ずっと経理畑を歩んできた方です。今さら「経理ができない」と会社に伝えることはできませんでした。

 地域の中核病院から紹介されて彼は私のクリニックにやってきました。その病院には地域向けのソーシャルサポート体制ができていなかったため、医師からは「社会福祉面のサポートも必要」との要望がありました。

自信を打ち砕いた配置転換

 社会福祉士とともに会社に連絡すると、会社側は柔軟に対応し、荒本さんの負担にならないよう、配送部署へ配置転換をしました。

 ところがそのことが彼の自信を打ち砕きました。「私は会社に迷惑をかけることになった」と嘆き、「会社の負担にならないよう、一刻も早く辞職する」と言うのです。責任感が強い人だけに自己否定が強く前面に出てしまいました。

 会社が彼をこの年まで雇っていたのにはわけがありました。本業は経理ですが、彼は社内で社員同士のトラブルや対立が起きるたび、その両者と丁寧に話をして、「社内のお父さん」として対立を収めてきたのです。

 しかし、そんな立場にいたことを彼自身は評価しておらず、自分が経理担当として十分な結果を出せなくなったことばかりに目が向いていました。出社するたびに自分の居場所がないと嘆き、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」と自らを責める日々が続きました。

「みんなの和を保ってほしい」

 そんなある日、荒本さんは社…

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