92歳の女性の訃報(ふほう)が数カ月前に届きました。私のクリニックの通院歴18年になろうかという直前の訃報でした。初診の時から印象的で、当事者の気持ちを伝え続けてくれた彼女は私の臨床の恩人です。今回も個人情報保護のために事実の一部を変更し、仮名で紹介します。
アルツハイマー型認知症の高畑京子さんは、70歳を過ぎるまで神戸市の北にある温泉地の旅館に勤務していました。
主な仕事は「仲居さん」でした。日々、旅館に来るお客さんに精いっぱいのサービスを提供することに生きがいを感じていました。
「これまでに最もつらかったことは何ですか」と聞いた私の質問に即座に、「阪神淡路大震災のときに温泉旅館が休業しなければならず、温泉に来たいと思っているお客さんを迎えてあげられなかったこと」と答える、仕事熱心な人でした。
ある時、疲れがたまったのでしょう。1週間ほど風邪をこじらせてしまい、旅館の勤務を休んで寮にこもることがありました。
仕事再開後の変化
やっと体調も戻って配膳業務に戻った日。お膳を客間に持っていこうとした瞬間、自分がいる場所がどこなのかわからなくなりました。
不安になった彼女は、神戸の病院の脳神経外科を受診して検査を受けましたが、その時には「何も変化はない。一時のことだろう」と言われて仕事に戻りました。
しかし症状はその後、月に2~3度くり返し、彼女は自分の仕事に自信をなくしました。「もうそろそろ引退の時期かな」と思い寮を出て、大阪の公団住宅で一人暮らしとなり、私のクリニックへの通院が始まりました。
彼女の初診での印象は「とてもしっかりとしている、よく物の道理がわかっている人」でした。最近の記憶がなくなることで、これまであった自信がなくなり、不安が高じていました。
高畑さんには五つ年下の妹さんがいて、妹が住む大阪に独身の高畑さんは転居したのでした。
長年暮らした温泉旅館の寮から大阪市内の公団住宅に移った直後のこと。周囲の環境も激変し、知り合いもいない生活です。
妹に「どなたでしたっけ?」
半年後には、高畑さんは直近…