北里大学北里研究所病院精神科部長の大石智さん

 「ニンチ(認知)が入っている」「○○妄想」。認知症にまつわる言葉が、先入観や偏見を強めているとしたら――。北里大学北里研究所病院精神科部長の大石智さんは、本人や家族、医療介護に携わる人に向けて、様々な用語、表現の言い換えを提案しています。専門医として問題提起した思いを聞きました。

大石智さん略歴

おおいし・さとる 1975年生まれ。北里大学病院相模原市認知症疾患医療センター長をへて、2025年から北里大学北里研究所病院精神科部長。日本精神神経学会専門医・指導医。「認知症への先入観をほどく 本人・ケアラー・医療者が前向きになれる言葉の提案」(新興医学出版社)を25年7月に出版。

 ――言葉に注目されたきっかけは。

 診療のなかで、本人や家族にもケアする人にも、また私自身にも、認知症への先入観、スティグマ(負の烙印(らくいん)、偏見)があることが気になっていました。偏った先入観を持った人が社会を構成していたら、「認知症フレンドリー社会」に近づくことはできません。どうしたらスティグマを弱められるか、悩みながら仕事をしてきました。

 ただ自分の周囲をみれば、医療介護関係者たちは、スティグマをはらんだ、気になる言葉を多用していました。

 ――どんな言葉ですか。

 例えば「○○さんはニンチっぽい」「ニンチが入っている」という言葉をよく耳にします。

 「ニンチ」は認知症を省略した用語だと思います。使っている人に悪気はありません。ただ「あの人はもう私たちとは違う世界に入っている」という、さげすむようなニュアンスを感じます。

 認知症が原因ではない行動や心理の変化を「ニンチが進んだ」などと表現している場合も少なくありません。

 また「弄便(ろうべん)」という用語があります。多くの場合、オムツ交換が少ないため気持ち悪くてオムツに手をいれてしまい、手についた便を落とそうとシーツにこすりつけるといったケースです。

 その行動にはその人なりの理由があります。それなのに「弄(もてあそ)ぶ」という字をあてていること、認知症の「症状」であるかのようにカテゴライズされていることに違和感を感じました。

 言葉のなかに先入観があって、それが言葉にのって周囲の人に広まるとしたら、よくないことだと考えるようになりました。「弄便」であれば、「便のついた手をシーツにこすりつける行動」など、主観を伴わない言葉で、見たままに表現すればよいのです。

 ――言葉がスティグマを媒介し、強化してしまうと指摘されています。

 診療で、「『徘徊(はいかい)』がはじまった」「『物盗(と)られ妄想』があるんです」などと家族が言い、それを認知症のある人がそばで聞いていることがあります。

 本人にも「認知症になったら終わり」という先入観があります。こうした言葉を耳にすると、スティグマが強まり、心の重しになってしまいます。家族にも同じことが言えます。

 ケアをする人たちが目にするカルテや看護・介護記録、紹介状などにも、スティグマをはらんだ言葉があふれています。そうした言葉を日常的に見聞きするなかで、医療・介護関係者も内なるスティグマを一層強めてしまうのです。

 ――「徘徊」は「何らかの理由で歩き回る行動」、「物盗られ妄想」は「誰かが大切な物をとったと思い詰めてしまうこと」など、言い換えの具体案を提案されています。

 徘徊は目的なくうろうろ歩き回るという意味ですが、認知症のある人は、その人なりの理由があって歩いていることが多いのです。「徘徊」はネガティブなイメージを強めてしまいます。

 実際、私の本を読んだ認知症のご本人から、「徘徊が始まりますよ」と言われてすごく傷ついた、絶望したという感想が届いています。

 物盗られ妄想という言葉も認…

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