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岩橋夜間学校でじゅんちゃんが2021年に書いた「私想詩」。「今が一番幸せ このまま時間が止まってほしい 今思うと 吉本先生に巡り会っていなかったらと思うと… どうなっていたんだろう もう少し長生きして もう少しがんばりたい もう一度学校で 勉強を もう一度学校で 本当の友達を」=2025年4月7日、榊原織和撮影
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 じゅんちゃん(当時67)が「岩橋(いわせ)夜間学校」に「入学」したのは2009年のことだった。

 岩橋夜間学校は、小学校教諭の吉本拓司さん(65)が00年に義務教育を受けられなかった人の学び直しのために和歌山市岩橋に開いた無償の私塾。

 明るくておしゃべり上手なじゅんちゃんは、優しかった担任の先生のことや、今でも忘れない偉人の言葉を授業で習ったことなど小学校の頃の楽しかった思い出を「吉本先生」に何度も話して聞かせた。

 でも、それらはすべて小学4年生までの出来事だった。

 和歌山県内で長年求められてきた公立の夜間中学が、12日に開校した。家庭の事情や不登校などで十分に義務教育を受けられなかった人や、外国籍の人など、学びを必要としている生徒が通う。開校を待ち望み、活動してきた人たちの思いを取材した。

 岩橋で育ったじゅんちゃんは4年生のときに父が入院し、病院に付き添う母の代わりに長女として家できょうだいの面倒を見るようになった。家の前を通学する子を見ては「学校に行きたい」と思ったが、たまに登校しても授業についていけず、結局、学校から遠ざかった。

 紡績工場へ働きに出た13歳、初めてもらった日給は120円だった。家族はとても喜んでくれた。16歳で和歌山を出て、工事現場の宿舎での炊事や食堂の皿洗いの仕事をした。西成、尼崎、東京、広島。少しでも給料の高い仕事を求め、仲間と各地を転々とした。

 小学校に上がったわが子から「この字なんて読むの」と聞かれたとき。答えられず「そんなこと先生に聞いたら」と逃げた。読み書きができないため、思うような仕事にも就けない。「字が分からないっていうのはこんなにも苦しいことか」と思った。

■もう一度学校で勉強したい…

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